朗読上戸

酒に酔ったときの自分の悪癖のひとつに「朗読癖」があると最近気づいた。最近読んだ本の中で調子のいい一節などを思うまま声に出して読む。
司馬遼太郎の熱の入った文章など酔いにまかせて声に出すととても気持ちがいい。
大菩薩峠』も結構いい。なぜかですます調で書かれていて冗長なところも多く、悪文だという人が多いようだが、朗読してみると意外に名調子といえる一節も少なくないのだ。そして、あれは要するにもともと講談の調子なのだと気づく。
最近は岩波文庫の『声でたのしむ 美しい日本の詩』というアンソロジーを買ってきて、本来の編集意図どおりにこれを声で楽しむこともしている。詩はやっぱり声に出してみるといいものだなあと一杯調子で機嫌がよくなったりする。
この一連の行為は一人で勝手にやる分には罪もないだろうが、ほとんどの場合同席している人を巻き込んでしまうのがよくない。本人はいい気なものだが、聞かされるほうははっきり言って迷惑である。
なぜ恥ずかしげもなくこういう行為に及ぶのかというと、一つには酔うことで判断力が低下しているのだろう。いま一つには老化にともなって自意識とか羞恥心といったものが鈍麻しているのだろうと思う。
そう考えてみると、本質的にはカラオケで調子に乗って自他を顧みずアイドルソングを歌っていい気になっている中年男性の心性と変わるところがないのかもしれない。僕は緩やか酔っ払いカラオケおじさんになっていってるのかもしれない。そうして十年もするとビールが嫌いな令和の若者にウザがられて遠ざけられてしまうかもしれない。
一体どうすればいいのだろうか。